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5月に余命宣告を受けてから
2ヶ月が経った頃
7月4日 義父は、この世を去りました
私は、その日
旦那の叔母の家に居ました
叔母が義父の病院から帰ってきて
数分がたった頃
旦那から電話がきて
「 義父が いま息を引き取った」
と
2週間前位にお見舞いに行った時は
ちゃんと話せたのに、って
人が亡くなるのは、
いつも突然で、
心の準備さえさせてくれない
人が亡くなると
これから生きていく家族は
やらなきゃいけない事が沢山だ、
私は義父が亡くなった次の日に
生後2月の長女を連れ 仏様がいる
旦那の実家に行きました
実家に入るとそこには冷たくなった
義父が 、眠っていました
不思議と私のなくなった
父方の亡くなった
祖父にそっくり
だったのを覚えています
布団で寝ている姿はまるで
生きているかのようでした
続きは明日書きたいとおもいます
最後まで読んでもらえて幸せに思います。
ありがとう。
後悔
旦那の父が余命宣告を、され
1ヶ月くらいたった頃
少し、外に出られるということで
車椅子に乗って外に出て
長女と会えることに
会えるのを楽しみしていてくれたのか、
かなり体調も苦しい中
頑張って長女に
会いに出てきてくれました
5分ほど抱っこし
義父の、
気分が悪くなってしまったので
そこですぐに戻ってしまいました
その抱っこが最後になるなんて
誰も考えてなかったので
写真も撮らずにいた事を
今だに後悔しています、
続きはまた明日書きたいとおもいます
最後まで読んでもらえて幸せに思います。
ありがとう
夜
夜は子供達が
寝静まり
自分と見つめ合える唯一の時間
最近内職を、はじめたけど
やっていると心からこの時間に
「もっとちがうことやりたぁーい」と!
内職より大切なものを見つけられました
内職に費やしていた時間を
勉強 するための時間に
学びって本当に、大切なんだなぁと
おもいます
義父の癌続き
義父が入院中
私と娘は旦那の叔母の家に
お世話になっていました、
旦那は、仕事に行ったり義父の看病
に行ったりでした、
旦那の親戚は、かなりグローバルで
義父の癌のことを知りアメリカから従姉妹がきて手伝いに来てくれたり
台湾からも、お見舞いに来てくれたりと
私は、家族って本当に大変な時に助け合うものなんだなっと思いました。
義父さんは
延命のための抗がん剤をしたり
モルヒネで痛みを緩和したり
しました、
私は、長女がいたので中々病院に行くことができなかったので、近くで見ていた
義理の姉さんは、辛かったのかなぁと
おもいます
そんな風に考えたのも、
私の母が癌になったからなぁと
ただ、義父さんとはあまり話したことはなかったのですが、
入院した際に話した内容が今でもずーっと覚えています。
私が「お父さん、退院したら何したいですか?」と聞くと
義父「家に早く帰りたい」
「みんなで、住みたい、2世代でも3世帯でも一緒に住みたい」って
私の中の義父は、クールなイメージだったので、ビックリしました。
みんな
誰かが病気になったり
すると普段聞けなかった事や
本人の本心などが分かるような気がしました
また、明日続きを書かせていただきます
最後まで読んでもらえて幸せに思います
ありがとう😊
長女出産退院後
退院後
病院では早寝早起き
夜間は赤ちゃん預けていたので
家に帰って夜にミルクを作る大変さ
夜中眠れないし
ご飯もゆっくり食べる時間もない
ことにびっくり‼️
母乳より、ミルクを飲ませる病院だった
たためか
母乳が軌道にのる頃には
おっぱい嫌いに
なので長女は、ミルク育児でした
初めての育児
色々なテレビを見て惑わされ
「泣く前にミルクをあげないと遅いとか」
言っててそれを鵜呑みにしてしまい
みるみる長女はぶくぶくに!笑
生まれた時は2800だったのに
1ヶ月検診では、5キロ近くに!
ミルクあげ過ぎでした笑
兎に角
初めての子育て分からないことだらけ
何をするにも除菌したり
鼻水だけでもすぐ病院
だた、
長女が産まれて3ヶ月頃
旦那の父が腰が痛いくてあるけないと
私たちは、ぎっくり腰だと思ってました、
その話はまた、後日
今日も、最後まで読んでもらえて幸せに思います。
ありがとう😊